北の道30 Miraz − Sabrad


6月15日(水)Mirazのアルベルゲ。ここは朝食を出してくれたので手持ちの食料が底をついてきた身としては嬉しい限り。昨日、ドナティーボには5ユーロしか入れなかったので、オスピタレラのおばちゃんにパラ、デサジュノ(朝食のため)と言って2ユーロばかし箱に入れ、3人に和風マリアカードを進呈する。

 7時半に出発する。今日もマルテンは先に出発していった。私が出るときに3人のおばちゃんが玄関に並んで見送ってくれる。うち一人(白い服の人)が私を前に何やら儀式みたいのをやり始めた。他のおばちゃんが「祝福してるんだよ」みたいなことを言っているのが分かる。へー、こんなことしてくれるアルベルゲは初めてだよ。出発するみんなにしてくれるんだろか?それとも私だけ特別に?そこは謎のままだが、英語もスペイン語も本当にカタコトしか喋れない東洋から来た巡礼を哀れに思って励ましてくれたのかと想像して心が熱くなる。おばちゃんありがとう。

 雲が流れて青空が顔を覗かせてくる。これなら降られないで済みそうだ。1時間くらいは高原の素晴らしい景色の中を歩けて、至極快適。しあわせ、しあわせーを連発する。このフレーズは私が今回の旅で時々口ずさむもので、ネットで他の人のサンチャゴ巡礼記を見たときに覚えたものだ。その人は辛くなったら「がんばれがんばれ、しあわせしあわせ」と唱えていたそうだ。私もそれに習ってしんどい時に唱えるようにしていた。でも今日のここは幸せしか感じないので「しあわせしあわせー」だけだ。

 残念ながら山の天気はずっと持ってはくれなかった。雨がパラパラ降り出して来たのでザックにカバーを装着してカッパを着込む。今のところは雨の中でも回りの景色の方がそれに勝っているので気持ち良く歩くことができるので有難い。
 今日の道はときどきペリグリノが居る道だった。サンチャゴが近づいて来たので増えてきたんだろう。何百キロも遠い彼方から歩きはじめるのは年配者が多く、近くから歩きはじめるのは若者が多いようだ。自分もそうだからその理由は想像できる。1カ月以上も掛けて歩けるのは大体定年退職した人で、若者は夏のバカンスを利用して2週間ほどの巡礼をおこなっているようだ。

 やっぱりマルテンに追いついたので、そこから一緒に歩き出す。次の小さな村に小さなバルがあったので入っていく。大きなカップにたっぷりのカフェコンレチェ。ドイツのぺトラが居たので同じテーブルで飲ませてもらう。小さなバルなのでテーブルは他に1つしかないし。マルテンがボカディージョを注文したので私も同じのを頼む。すんごくでっかいボカディージョで、半分は後で食べることにして付いて来たナイフで切っていたらマルテンも同じことを始めた。それを見ていたママが包むためのアルミホイルを出してくれる。

 ぺトラが出て行ったあと暫くしたら外はバシャバシャと音を立てた本降りになってきた。うひゃー、こりゃ参ったなと思うが、ここで泊まることが出来る訳もなく、少し小降りにならないかなと祈るしかできない。結局、そんなことはなくて雨の勢いは収まらないので歩き出そうと腹を決める。外の下屋に出たら4人のペリグリノが雨宿りをしていたので互いに苦笑い。合羽を着込んでいたらマルテンがやおら大きなゴミ袋の底を抜いたのを履きだした。おおっ、その手があったか!マルテンも合羽は上だけでズボンは持っていない。私も上だけでズボンはとっくの昔に捨ててしまっているので雨の日は下は濡れ放題なのが気になっていた。そうか、下にはゴミ袋を履けば腰周りだけでも濡れないで済むのか。合羽の上着とバックパックを伝わった雨が腰をビショビショに濡らすのが非常に不快だったのだ。バックパックから大き目のビニール袋を引っ張り出して底を抜いていたら、マルテンがそれより大きいビニール袋を出して「こっちの方が大きいよ」とくれた。いいねいいね、これで雨歩きの弱点が克服できた。

 昨年の靴は雨の日には中が水浸しでグショグショになったが、今年の靴は雨に強いゴアテックスとの触れ込みなので、どの程度の効き目があるのか半信半疑だったが、ゴアテックスの威力は絶大だった。来年来るとしたら、高くても合羽はゴアテックスを買おうと思った。

 本降りの雨の中、淋しい山の1本道を歩いていると根性を試されている気がしてくる。がんばれがんばれ幸せ幸せ、だ。雨の勢いは弱くなっても止むことはなかった。暫く歩いた町のバルで二度目の休憩。入っていくとペリグリノが沢山休んでいた。雨の日は休むところは屋根のあるバルくらいしかないので必然的にバルに沢山の人が集まってくる。ここのカフェコンレチェは私がおごったる。このバルの高い棚の上に前足が動く招き猫が置いてあった。あれーと思って見ていたら、ママさんが「ハポン」と言ったので、私が日本人と分かったらしい。

 山の細い道は泥沼と化している。道が沼になっても上に上がれる所があれば草むらを歩いて超えることができるが、一箇所、両側が切り通しで逃げ道のない所があった。私は2本のスティックを沼に付き立てて体を斜めにしながら壁を伝い渡れたが、スティックを出すのを面倒臭がったマルテンはドボンと足首まで水没。

 村の中で運悪く牛の集団移動に前を阻まれる。細い棒を持った牧童が勝手な寄り道をしている牛を思いっきりひっぱたいている。体がでかいから、あのくらいの勢いで叩かないと感じないのかな?牛は歩きながら爆弾を落とすので、後ろから続いている私たちは見たくもない物を見せられる。これずっと続くの?と、うんざりしていたら、100mくらいで横道に逸れてくれたので一安心。



 2時半、アルベルゲがあるSabradの村に到着する。マルテンは洗濯機目当てで私営に泊まることと決めていたので、公営希望の私と別れる。ここの公営アルベルゲは修道院が運営しており、その修道院も有名らしく時間限定で内部の紹介ツアーまでやっている。大きな門をくぐり入り口まで行ってみると大きな扉はドスンと閉じられており張り紙には4時オープンとある。4時かぁ、まだ2時間半もあるじゃん。先に付いていた若者ペリグリノはオープンまでここで待つそうだが、雨で体が冷えてて寒い中、2時間半待つのは辛いのでマルテンが泊まると言っていた私営を目指す。マルテンが歩いていった方向は覚えていたので、そっち方面に歩いていくと小さな村なのですぐ見つかった。ここかなぁと考えていたら、刷りガラスの扉が開いてオーナーが迎え入れてくれたので、まず中を見させてもらったところ、下段ベッドが空いており、その隣のベッドにはマルテンがいたのでここに決めた。

 早速シャワーだ。体が冷えているのでいつもより長めに暖かいシャワーを浴びて生き返る。洗濯もして専用の部屋に干しておくが、沢山の洗濯物が干された部屋は湿度が異常に高いので乾くのは無理だろう。腹も減ったままなので、取り合えず歩いている途中に寄ったバルで食べ残した半分のボカディージョと寒いのでインスタントコーヒーを飲む。コーヒー持ってて良かった。ここんちの外扉は開けっぱなしでなく、入り口で数字ボタンを押して開ける方式だった。その番号は1212Aで、Wi-Fiのパスワードも12121212と非常に安直。でも覚えやすいからグー。

 食べ物が尽きてきたので雨降りだけど合羽を着て少し離れたスーパーまで買いに行くことにする。洗濯した物は乾く可能性ゼロなので、乾いた衣類はこの際貴重だから濡らすことはしたくない。半ズボンの下にパンツは履かないで行く。パンツの替えは1枚しか持ってないので、これが唯一の乾いたパンツなのだ。
 Mahou缶ビール、白ワイン、ヨーグルト4、小振りのパプリカ、チンして食べるパスタ2、朝飯用に大き目のクッキー、瓶入りピクルス(これが高かった)で14.85ユーロ。マルテンの分も買ったので買い物最高額更新だ。アルベルゲに戻ってマルテンに、今晩はこれを食べようと提案する。朝食にはクッキーとヨーグルトと言ったら、マルテンは自分でも買ってくると言っているのでスーパーの位置を教えてやる。何を買ってくるんだろう?

 マルテンがチュニジア産のDatchaと言う木の実みたいのを買って夕食のテーブルに載せた。食べてみると餡子みたいな甘さがあって日本人好みの味だった。もしかして小豆と兄弟?マルテンも私が買ってきた簡単ディナーを気に入ってくれたようで良かった。自分が用意したものを遠慮なく食べてやるのは親切なんだと今更ながら気が付いた。

 今日は雨の山越えがあって過酷な一日だったが、そこそこ快適な私営にチェックインできてスーパーで買い物もできたのでご機嫌だ。惜しむらくは有名らしい修道院に入れなかったことか。

 一昨日のアルベルゲで私の写真を撮ったスペイン青年がスマホの画面を見せてくれた。私がワインの瓶を持ったところが撮られている。何とその青年がEstrellaのビールを丸ごと1缶くれる。記憶が曖昧だが、もしかしたら一昨日ワインを飲ませてやったかな?隣のテーブルで同年代の若者たちと賑やかにやっているのでビールのお礼だと言って、若者たちに面白パフォーマンスを教えてやることにする。それは若い頃に覚えたイカサマ間接外しで、信憑性を持たせるために空手のポーズを決めて信じさせる。本当は間接外しでも何でもないのだが、上手にやると本当に間接を外しているように見えるので大受けする。カメラで撮ったり、女の子は両手で顔を覆って怖がっているので信じ切っているようだ。すぐ種明かしをしてやったので、みんなもこれを国に持ち帰って一芸にしてくれるかな。それと一緒に教えてくれた日本人のことも思い出してくれると嬉しいが。


北の道31につづく